右足と左足を交互に出しながら出勤したり本屋に行って、晩飯は主に魚肉ソーセージを食べて、その合間に働いてる。ただ生きるだけなら楽勝だ。
『露地裏の散歩者』って本を読んで面白かったので報告したい。
この本は俳人 攝津幸彦を論じる本なので、攝津幸彦の俳句を知らないと面白くないのかもしれないけど、それはもったいないので、攝津幸彦は知っておいた方がいい。
なんとなく好きな句でネットにあるものをコピペすると、こんな感じ。
露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな
新聞紙揉めば鳩出る天王寺
国家よりワタクシ大事さくらんぼ
幾千代も散るは美し明日は三越
なんとなく生きてゐたいの更衣(ころもがえ)
知らない人がみたらちょっと驚くかもしれないけれど、それは多分俳句の方も驚いてると思う。
俳句だって松尾芭蕉の時代から同じことばっかりやってるわけじゃなくって、どんどん変わっていってるんだもん。
って僕みたいな人間が偉そうに言うことでもないんだけど、季語の有無や文語でなくちゃならないとか、もっと言えば意味がなくちゃならないとか、そういうところにいなくって、少なくとも攝津幸彦って人はその辺りをかなり柔軟に考えていたみたい。
ともかく五七五(字余りなどを含む)であることを基本として、自由に言葉で遊ぶっていうか。つまり、『露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな』というのは有名な句だけど、意味はあんまりわかんない。いや、わかるんだけど、くっきりとはわかんない。ただ、映像のようなものが頭に浮かぶのは確かで、それは俳句という圧縮装置から出てきたものが頭の中で勝手に膨らむからだろう。それがどうしてそうなるのかっていうようなことがとてもわかりやすく書かれてあって、頭の中が随分とすっきりした。
さぁ、すっきりしたところで俳句を作ろう!と思っても、なかなか出来ないのがおかしいおかしいおかしいっつって、それはもうあれだ。攝津幸彦はやっぱり凄かったってところに立ち返るってやつ。
そう言えばこんな句があって、今にぴったりだなぁと思った。
蝉しぐれもはや戦前かもしれぬ
※邑書林のサイトから買うと送料無料です。
「露地裏の散歩者」
「攝津幸彦選集」
自由は不自由ってフレーズが世間に通用していて、それで私も世間並みなんだなってちょっと安心できたり不満に想ったり。。。
また読ませてください。(ᴖ.ᴖ)